なんでもねだりな日々

日常を複雑にしたり単純にしたり

なんでこんな書いてばっかいるんだろ

文章を書く人間にとって
ありがたい時代に生まれてきたと思う。

スマホがあれば、自分の思想なり生活なりをやや誇張させ、ぽん、と世界に発信できる。

私もぽんぽんと彩った日常を不特定多数の人々に提供しているものだ。

私は、仕事でも文章を書いている。
これが自分でも驚きなのだが、書くのを嫌だと感じたことが一度もない。

休みの日に、たまたま車で会社の前を通り
「あぁ、働きたい」といった際にはさすがに苦笑いされた。


ほら、こうやって日曜の夜だというのに
わたしは誰にも読まれないような文章を綴っている。


なぜか知らないけど、頭の中は「書く」でいっぱいだ。

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くだらないことを書く

先日、経営をされている方とお話していたときに、こんなことを言っていた。

「移動中に、世の中を見渡して、足りないものはないか。それをどうやってビジネスにするか考えているんですよね。」

ほう。なんと崇高な。
私なんてただ、ぼうっと、最近だったらコスモス咲いてきたなぁくらいしか考えてないわ……。

と、思ったが、頭の中でコスモスストーリーがはじまっていることに気づいた。

秋がきたなぁ、この秋のはじまりを、どう文章で表現しようか。
そうだ、秋のはじまりだったら、〇年前のあの思い出、今ならどう書くことができるかしら……あぁ、いまは自転車に乗ってるからノートを開けないな……。


毎日がそんな風である。

まともなことを書く

素敵な人をみつけたら、どう取り上げようか、と考える。
取り上げたら、どう表現しようかと考える。

うわぁ、こんなんじゃないんだよ、もっと、なんかこう……といった感じで、納得のいく言葉を使って、文章にして誰かを表現できたことは未だかつてない。

でも、納得がいかないから、毎日面白おかしく仕事ができるんじゃないかな。

 

楽しいか?といわれると

書くのが好きなんですね、と言われるけれど
たぶん、好きである。嫌いじゃない。

楽しいですか?と言われると
うーん……普通ですね。

 

書く、は日常だから

もちろん楽しいけれど、楽しいことは他にもある。
たくさんある。世の中にあふれかえっている娯楽を愛している。

でも、私のベースは書くということ。
書く、にはじまり、書くに終わる。

楽しくても、楽しくなくても、
日常のルーティンだから、やんなきゃダメらしい。

他人事なくらい、私という人間に、義務付けられているような気がする。

 

仕事したい!はそこからくる

休みの日は休みで死ぬほど満喫するが
まったく月曜日は憂鬱じゃない。

自分にとっては、同じ毎日が繰り返されるだけ。
その同じ毎日が私はたのしい。

同じ、と言っても、同じ文章を二度と書かないわけであり、
毎日が変化する仕事である。

相反することだけれど、
毎日が変わっていく実感がある幸せをかみしめている。

明日も、文章を書きます。